帰化申請

帰化申請をしていた外国人女性が、めでたく「日本国籍」を取得した。
本人は大喜びであるし、私も心から「お目出度う」と申し上げた。

業務日誌を捲ると、業務委託を受けてから1年と1ヶ月を要している。その内の2ヶ月間は母国の国籍離脱に要した期間であるが、ちょっと長かったかなと感じている。

日本人と結婚、生活の本拠を日本に移し日本人の配偶者として生活しており、10年ほど前に自分で帰化申請をしたが不許可になったと云う。

何処に問題があったのか、何か要件に欠けるところがあったのか、詳しく聞いたが皆目その理由が掴めない。
不許可理由の開示を求めたが具体的な説明は得られ得られなかったとのこと。

その女性は夫に先立たれ。現在は夫の遺族年金と相続した不動産からの収入で定住者として生活している。

帰化申請は入管業務と異なり申請取次ができないので、行政書士である私は資料収集、資料作成、コーチングなどを業務とする。帰化申請は1年近くかかるのが普通であるので、申請者の精神的負担も大きく、そのケアも重要になる。

調べた範囲では、前回の不許可の理由が浮かんでこない。不許可の理由が不明のまま、再度の帰化申請業務をお引き受けするのは不安があり、なおかつ申請直後に入管での定住者の更新手続きが入る。
法務省と出入国管理局に似たような資料を連続して作成、似ているが同じではない。頭がこんがらかってくる。在留資格更新が認められなければ帰化申請もアウトである。

2度目の帰化申請への対策は、帰化の要件を証明する資料の精度を高め、丁寧に収集し、提出する資料を丁寧に作成するとの方針を立てる。

在留更新は無事終了

海外から取り寄せる資料は、いちいち翻訳しなければならず、よく読むと他の資料との矛盾点が出てくる。その理由を調査し、補足資料を集め、説明文章を添付する。

法務省の国籍課とは最初の面談で提出すべき資料の指示を受け、全てを揃えて提出、その後2ヶ月ほどで担当官と面接、追加資料の指示を受け、再度面接。
ここで資料は法務省に送られ、最終的には法務大臣の裁量により帰化許可が決定される。

このような流れの13ヶ月であった。

尚かつ、帰化許可を受ける前に母国の国籍を離脱ししなければならない。当然パスポートは使えなくなる。短い期間であるが無国籍の状態になることになる。

帰化許可が決定すると、官報にその旨が記載される。国籍課に呼ばれ、日本人になった後の注意と説明を受け、「帰化許可書」を受け取り、区役所で戸籍を作成、外国人登録書を返還し、住民票を作る。
これでやっと日本人として生活する事ができる。

本当に長い13ヶ月であった。




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東京入管、面接、仮放免申請デビュー その3

仮放免申請のため、今度は右側の入口から入り、エレベーターで6階に上り「仮放免」と書かれた部屋に入ります。

受付机には誰もいませんでしたが、ベルがありましたので鳴らすと係官が出てきます。こちらの係官は私服です。

書類を提出し、控えの部屋でしばらく待ちます。
名前を呼ばれ、先ほどのカウンターで係官から「書類は受理しました」と告げられます。

一階に降り、入管前からバスで品川駅に向かいます。この時のバスはガラガラでした。

この一日、肉体的にと言うより精神的に結構疲れたな、というのが面接、仮放免申請デビューの感想です。

日本人の私でも、結構大変でしたから、言葉が不自由で日本の風習に慣れない外国の人達の負担はいかほどのものかと想像すると、なんともやりきれない気持ちになり、帰途につきました。





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東京入管、面接、仮放免申請デビュー その2

入管正面の左側入口に入りました。
薄暗い中には多数の外国人がビッシリ座って呼び出される順番を待っています。私たちも面会の申請書を書き、係官にNOカードをもらいます。

この係官たちの服装も右側入口の世界とは大違いで、警備員風あるいは戦闘服風の紺色のコスチュームです。中には同色の戦闘帽(?)をかぶっている係官もいます。この係官は入国警備員で身分は国家公務員、警察職員で、必要に応じ武器の携帯を許されている方々です。

同行の経験者が、「ともかく待ちますから」とアドバイスがあり、ひたすら待ちます。

やがてNOが呼び上げられ、奥のエレベーターで7階に昇ります。

ここにも多くの外国人が待機しています。
カウンターでで必要な手続きをします。差し入れ(お金)、手紙、仮放免申請の委任状(本人のサインが必要です)を係官に渡します。ここの係官も入国警備員でしょう、1階の人達と同じような服装です。

また待ちます。部屋には入りきれない人達が通路にも溢れています。椅子の数は圧倒的に不足しています。

係員に名前を呼ばれ、面会室NOを告げられ、ロッカーキーとチェックインカードを受け取ります。
荷物はすべて、携帯電話も持ち込み禁止ですのでロッカーに押し込みます。

通路を進み指定された面会室の入口でチェックインカードを差し込むとドアが開きます。

部屋には高さ70センチほどのカウンターがあり、その上は丈夫は分厚い大きなガラスで区切られ、その底部は多数の小穴が開いている金属です。椅子が2脚置かれています。

椅子に座りかなりの時間待ちます。

正面のガラスの向こう側には収容されいる外国人のための椅子が置かれています。部屋の後ろがわには壁も扉もありません。
通路が丸見えで、係官や収容者がひっきりなしに通り過ぎるのが見えます。

壁にはたくさんの落書きがあります。勿論外国文字です。中にAMIという文字が書かれたハートマークが幾つもあります。とても悲しい「愛してる!」なんでしょうね。

やがて、収容されている外国人と対面します。

彼は流暢に日本語を話します。
いろいろな話をしました。出国するまでの経緯、何故日本に密入国しなければならなかったのかなどなど。
10分ほどの面会時間はあっという間に過ぎてしまいました。

別れるときに、「頑張ってね!」と言い、ガラスに手の平を当てると、彼も反対側から手の平を当てました。微かに彼の体温を感じたように思います。

ロッカーから荷物を出し、係官から彼のサイン入りの委任状を受け取ります。
1階に降り、一度建物の外に出ます。

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東京入管、面接、仮放免申請デビュー その1

 東京入国管理局(東京入管)は、品川駅よりバスで10分ほどの海側にあり、バスの乗客は半数以上が外国人です、入管に向かうバスの中にはチョッピリ異国の風が流れているような気がします.

 東京入管の正面、右側入口は、在留資格認定書(通常VISAといいます)申請、変更、更新時に、時には不法在留者が在留資格を申請する在留特別許可申請(出入国管理及び難民認定法<入管法>には書かれていませんが)する為の入り口です。

 一方、左側入口は、日本に不法滞在していることが発覚し、逮捕、収容されている人たちに面会、差し入れをするための入口です。
私は、今まで右側の入口からしか入管に入った経験しかありませんでしたが、初めて左側の世界を垣間見ました。


 日本に不法滞在していた人々ですから、見つかれば、逮捕、収容、強制退去となり本人の母国へ強制送還されることになります。
ここになやましい問題があります。単に入管法(或いは日本の国法)に違反している不法入国者、不法滞在者はさっさと母国へお帰り頂ければ良いのですが、母国に強制送還されると迫害されたり、更には殺害されるおそれのある人々が存在するのです。
政治亡命希望者、難民認定希望者がそれです。

 日本人として生まれ、日本でそだった我々には想像すらつかない世界があるのです。
本日面会した方も、「何で密入国したのですか?」と質問すると、
答は「父は早くに亡命し、私も日本に逃れたが、逃げ遅れた母親は殺されました。」というものでした。

平和惚けともいわれる日本では、政権が変わろうとも、国民の関心は子供手当2万6千円が云々、子供のいない家庭に不公平で何たらかんたら。
某国では同じように政変という言葉で表現される体制の変化が、即「」を脅かされることになるのです。

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「荷風セット」を食す

 弊事務所は城東地区に所在し、通常業務は都内のクライアントがほとんどである。さらに、所長1人の個人事務所でもあるので、都内を外れることも希である。

ところがどうした弾みか、千葉県市川市に縁のある業務を連続して受注している。
昨日も、千葉地方法務局市川支局に帰化申請のため申請人に同行して赴いた。

最寄り駅が武蔵野線の市川大野駅で、交通の便は良いとは言えない。
無事申請を終了し、市川駅前で申請人と別れる。

市川には大学広告研究部の同期が不動産業を営んでいるので連絡を取り、昼食を共にすることとする。
以前より、永井荷風が生前日々通ったという市川の蕎麦屋に、「荷風セット」なるメニューがあることを聞き及んでいたので、その店に案内してもらう。

市川ではなく、京成市川駅より一駅、「本八幡」という駅前の大野屋さんがその店である。
荷風が住んでいた家は直ぐ近所だったとのこと。

「荷風セット」は、カツ丼に、味噌汁、香の物、そして、菊正の燗酒が1合徳利1本付きで1,280円なり。
実際に食してみると、半年間メタボ対策を実行している身にはかなりの量におもわれた。
79歳で亡くなる数日前までこのメニューを食していたとすると、結構な食欲にも思える。

荷風はこの地で文化勲章を受勲。
大野屋の店頭には「永井荷風没50周年」イベントのポスターが掲示されていた。

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