スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

風評被害

世間に風評被害という言葉が飛び交っています。

日本の経済界、政府はこの被害を食い止めるべく、ゴールデンウィーク中も活動していました。
5月3日には、経済団体が、福島第1原発事故の風評被害解消のため、韓国の企業関係者を対象に原子力専門家による説明会を開きました。

また、5日には、野田佳彦財務相がアジア開発銀行(ADB)年次総会(於、ハノイ)で原発事故による日本製品の風評被害を回避するよう訴えました。


わかっているようで、なんだかよくわからないのが風評被害。

手軽に調べられる、ATOKの専門辞書である「広辞苑第六版」で調べますと、
風評被害→風評によって、売上減などの被害を受けること
と説明しています。
ついでに、風評も調べますと、
風評→世間の評判。うわさ。とりざた。風説。
とあります。

さらに、Wikipedia調では、
「風評被害(ふうひょうひがい)とは、存在しない原因・結果による噂被害のこと。多くの例では災害、事故での不適切又は誤報により、生産物の品質低下やまったく存在しない汚染などを懸念して消費が減退し、まったく原因と関係のないほかの業者・従事者が損害を受けること。災害、事故による直接の被害や顧客の危機回避のための判断や安全確認のための出荷停止は風評被害には該当しない。」
とあります。

韓国と日本の関係をよく「一衣帯水」と表現します、帯のように細い海を隔てて近接していることを言うのですが、その近接しているお隣の国に断りもなしに放射能に汚染された水を海に流してしまったのですから、不快感を持たれるは当然でしょう。
流した汚染水は毒性が低いので大丈夫です、人体に影響はありませんから、安心して日本の農産物や工業製品をお買いくださいというのが政府や経済界の意図なのでしょうが、余りに身勝手、相手の立場をまったく考慮しない幼児的発想に思えてならりません。

それでなくとも、良好とは言い難い両国の関係が悪化しないことを祈るほかありません。

ところで、「被害」と言う言葉と対になっているのは「加害」です。
上の例でいえば、商品を買って貰えない日本が「被害者」で、「うわさ」により買い控えている外国(以下の展開の都合により,韓国に絞る。)が加害者ということになります。


私の事務所の顧客Aさん(仮称)という韓国の女性の話を書きたいと思います。

Aさんは子供の頃から日本に強い関心を持ち、特に日本のデザイン(工業製品を含み)に強く惹かれたとのこと。高校生の頃から日本語を勉強し、大学では日本文学を専攻、第2志望(韓国の大学では第1志望と第2志望共に学ぶことが出来るということです。)デザイン・マーケティングを学んだと言うことです。

大学卒業後、日本の美術大学の修士課程に留学しました。
卒業を控え、日本企業で就職が内定し、4月からはデザイン部門に配属されることが決まっていました。

私の事務所は、その企業からAさんの在留資格を「留学」から「人文・国際業務」に変更するようにとの業務委託を受け、東京入管に在留資格変更申請を行い、審査の結果、入管からハガキが届き、その内容は、「卒業したら、2週間以内に卒業証書を持って、証印窓口に来るようにと。」と言うものでした。
これで、Aさんは卒業させ出来れば、4月から晴れて新社会人としての一歩を踏み出せる筈でした。

この直後に東日本大震災が勃発したのです。

Aさんは、母国の親から、「ともかく一度韓国に戻れ!」と言われ、私に相談電話を掛けてきました。この時点で、Aさんは留学の在留期間が切れていて、変更申請手続き中と言うことで日本にとどまっていましたので、この状態で再入国手続が取れるのかというのが質問の趣旨でした。
入管の扱いでは、このようなオーバスティ状態にあっても、特別の事情があれば再入国許可を出してくれます。問題は、この段階で出国しなければならないという特別の条件に該当するか否かということです。従来は、かなり厳格に取り扱われてきました。

以上の説明を受け、Aさんは入管に出向きましたが、入管には多くの外国人が詰めかけ相談すら出来ない有様で、やむなく引き返し親にその旨を告げると、それなら早く東京を離れろ、大阪に知人が居るので、そちらに避難しなさい、と言われ、大阪に向かいます。
韓国では、地震より福島原発の放射能被害につき過激な報道が飛び交っていたようです。

その後、大阪入管で再入国許可が取れ、Aさんは韓国に飛び立ちました。

その後、国の実家でどのような話し合いがあったのかはわかりませんが、実家では日本で働くことに大反対され、Aさん日本で働くことを断念、内定の決まっている会社と、私にその旨を国際電話で伝えてきました。

4月中旬にAさんは日本での生活を整理するために来日、私の事務所では入管に対する申請取り下げ(私に事務所での初めての取り下げ初体験です。)を行いました。

その3日後、Aさんは日本での生活を清算し、韓国に戻りました。

先ほど風評被害につき、被害者→日本、加害者→韓国としましたが、Aさん例はどうなるのでしょうか?

高校時代から日本語を学び、大学で日本語とデザインを学び、日本の大学院でデザインを学んだAさん。
Aさんの青春は、日本で職を得るためにあったと言っても過言ではないでしょう。
韓国の就職状況は決して良くありません。Aさんのような学歴を持つ女性が、修士課程修了ですから年齢もそれなりの年齢です、韓国で良い職を得ることができるのでしょうか。
老婆心ながら、非常に気になります。

Aさんを東日本大震災の福島原発事故の「風評被害者」と見ることも可能なのではないかと思います。数日前の文部省の発表では、東日本大震災の影響で海外に脱出した留学生の13%が戻っていないと言うこと、たくさんのAさんが居ることでしょう。

だからといって、Aさんが風評被害による損害賠償を請求しても,これは通らないでしょうね。

現在は世界各国から暖かい手をさしのべていただいていますが、日本及び日本人は日本で起きた災害・人災により、日本人のみならず、多くの外国の方に多大のご迷惑を掛けていると言う事実を心に刻みつけておかないと、とんでもないしっぺ返しを受けることになりそうです。





帰化申請

帰化申請をしていた外国人女性が、めでたく「日本国籍」を取得した。
本人は大喜びであるし、私も心から「お目出度う」と申し上げた。

業務日誌を捲ると、業務委託を受けてから1年と1ヶ月を要している。その内の2ヶ月間は母国の国籍離脱に要した期間であるが、ちょっと長かったかなと感じている。

日本人と結婚、生活の本拠を日本に移し日本人の配偶者として生活しており、10年ほど前に自分で帰化申請をしたが不許可になったと云う。

何処に問題があったのか、何か要件に欠けるところがあったのか、詳しく聞いたが皆目その理由が掴めない。
不許可理由の開示を求めたが具体的な説明は得られ得られなかったとのこと。

その女性は夫に先立たれ。現在は夫の遺族年金と相続した不動産からの収入で定住者として生活している。

帰化申請は入管業務と異なり申請取次ができないので、行政書士である私は資料収集、資料作成、コーチングなどを業務とする。帰化申請は1年近くかかるのが普通であるので、申請者の精神的負担も大きく、そのケアも重要になる。

調べた範囲では、前回の不許可の理由が浮かんでこない。不許可の理由が不明のまま、再度の帰化申請業務をお引き受けするのは不安があり、なおかつ申請直後に入管での定住者の更新手続きが入る。
法務省と出入国管理局に似たような資料を連続して作成、似ているが同じではない。頭がこんがらかってくる。在留資格更新が認められなければ帰化申請もアウトである。

2度目の帰化申請への対策は、帰化の要件を証明する資料の精度を高め、丁寧に収集し、提出する資料を丁寧に作成するとの方針を立てる。

在留更新は無事終了

海外から取り寄せる資料は、いちいち翻訳しなければならず、よく読むと他の資料との矛盾点が出てくる。その理由を調査し、補足資料を集め、説明文章を添付する。

法務省の国籍課とは最初の面談で提出すべき資料の指示を受け、全てを揃えて提出、その後2ヶ月ほどで担当官と面接、追加資料の指示を受け、再度面接。
ここで資料は法務省に送られ、最終的には法務大臣の裁量により帰化許可が決定される。

このような流れの13ヶ月であった。

尚かつ、帰化許可を受ける前に母国の国籍を離脱ししなければならない。当然パスポートは使えなくなる。短い期間であるが無国籍の状態になることになる。

帰化許可が決定すると、官報にその旨が記載される。国籍課に呼ばれ、日本人になった後の注意と説明を受け、「帰化許可書」を受け取り、区役所で戸籍を作成、外国人登録書を返還し、住民票を作る。
これでやっと日本人として生活する事ができる。

本当に長い13ヶ月であった。




テーマ : お仕事奮闘記 - ジャンル : 就職・お仕事

東京入管、面接、仮放免申請デビュー その3

仮放免申請のため、今度は右側の入口から入り、エレベーターで6階に上り「仮放免」と書かれた部屋に入ります。

受付机には誰もいませんでしたが、ベルがありましたので鳴らすと係官が出てきます。こちらの係官は私服です。

書類を提出し、控えの部屋でしばらく待ちます。
名前を呼ばれ、先ほどのカウンターで係官から「書類は受理しました」と告げられます。

一階に降り、入管前からバスで品川駅に向かいます。この時のバスはガラガラでした。

この一日、肉体的にと言うより精神的に結構疲れたな、というのが面接、仮放免申請デビューの感想です。

日本人の私でも、結構大変でしたから、言葉が不自由で日本の風習に慣れない外国の人達の負担はいかほどのものかと想像すると、なんともやりきれない気持ちになり、帰途につきました。





テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

東京入管、面接、仮放免申請デビュー その2

入管正面の左側入口に入りました。
薄暗い中には多数の外国人がビッシリ座って呼び出される順番を待っています。私たちも面会の申請書を書き、係官にNOカードをもらいます。

この係官たちの服装も右側入口の世界とは大違いで、警備員風あるいは戦闘服風の紺色のコスチュームです。中には同色の戦闘帽(?)をかぶっている係官もいます。この係官は入国警備員で身分は国家公務員、警察職員で、必要に応じ武器の携帯を許されている方々です。

同行の経験者が、「ともかく待ちますから」とアドバイスがあり、ひたすら待ちます。

やがてNOが呼び上げられ、奥のエレベーターで7階に昇ります。

ここにも多くの外国人が待機しています。
カウンターでで必要な手続きをします。差し入れ(お金)、手紙、仮放免申請の委任状(本人のサインが必要です)を係官に渡します。ここの係官も入国警備員でしょう、1階の人達と同じような服装です。

また待ちます。部屋には入りきれない人達が通路にも溢れています。椅子の数は圧倒的に不足しています。

係員に名前を呼ばれ、面会室NOを告げられ、ロッカーキーとチェックインカードを受け取ります。
荷物はすべて、携帯電話も持ち込み禁止ですのでロッカーに押し込みます。

通路を進み指定された面会室の入口でチェックインカードを差し込むとドアが開きます。

部屋には高さ70センチほどのカウンターがあり、その上は丈夫は分厚い大きなガラスで区切られ、その底部は多数の小穴が開いている金属です。椅子が2脚置かれています。

椅子に座りかなりの時間待ちます。

正面のガラスの向こう側には収容されいる外国人のための椅子が置かれています。部屋の後ろがわには壁も扉もありません。
通路が丸見えで、係官や収容者がひっきりなしに通り過ぎるのが見えます。

壁にはたくさんの落書きがあります。勿論外国文字です。中にAMIという文字が書かれたハートマークが幾つもあります。とても悲しい「愛してる!」なんでしょうね。

やがて、収容されている外国人と対面します。

彼は流暢に日本語を話します。
いろいろな話をしました。出国するまでの経緯、何故日本に密入国しなければならなかったのかなどなど。
10分ほどの面会時間はあっという間に過ぎてしまいました。

別れるときに、「頑張ってね!」と言い、ガラスに手の平を当てると、彼も反対側から手の平を当てました。微かに彼の体温を感じたように思います。

ロッカーから荷物を出し、係官から彼のサイン入りの委任状を受け取ります。
1階に降り、一度建物の外に出ます。

テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

東京入管、面接、仮放免申請デビュー その1

 東京入国管理局(東京入管)は、品川駅よりバスで10分ほどの海側にあり、バスの乗客は半数以上が外国人です、入管に向かうバスの中にはチョッピリ異国の風が流れているような気がします.

 東京入管の正面、右側入口は、在留資格認定書(通常VISAといいます)申請、変更、更新時に、時には不法在留者が在留資格を申請する在留特別許可申請(出入国管理及び難民認定法<入管法>には書かれていませんが)する為の入り口です。

 一方、左側入口は、日本に不法滞在していることが発覚し、逮捕、収容されている人たちに面会、差し入れをするための入口です。
私は、今まで右側の入口からしか入管に入った経験しかありませんでしたが、初めて左側の世界を垣間見ました。


 日本に不法滞在していた人々ですから、見つかれば、逮捕、収容、強制退去となり本人の母国へ強制送還されることになります。
ここになやましい問題があります。単に入管法(或いは日本の国法)に違反している不法入国者、不法滞在者はさっさと母国へお帰り頂ければ良いのですが、母国に強制送還されると迫害されたり、更には殺害されるおそれのある人々が存在するのです。
政治亡命希望者、難民認定希望者がそれです。

 日本人として生まれ、日本でそだった我々には想像すらつかない世界があるのです。
本日面会した方も、「何で密入国したのですか?」と質問すると、
答は「父は早くに亡命し、私も日本に逃れたが、逃げ遅れた母親は殺されました。」というものでした。

平和惚けともいわれる日本では、政権が変わろうとも、国民の関心は子供手当2万6千円が云々、子供のいない家庭に不公平で何たらかんたら。
某国では同じように政変という言葉で表現される体制の変化が、即「」を脅かされることになるのです。

テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記